ドガが愛し、印象派の画家たちが好んで使ったパステルを、今も手作業で作り続ける工房があります。名前はラ・メゾン・ドゥ・パステル社。この工房が作るパステルは創業者の名に因んで「ロシェのパステル」と呼ばれます。
とりわけドガとの親交が深かったことから「ドガのパステル」とも呼ばれます。
創業は1720年、3世紀にわたる業績と名声は2000年、創業者から数えて5代目にあたるイサベル・ロシェに引き継がれて今日に至ります。

Dr.アンリ・ロシェ
—18世紀初頭
18世紀初頭といえばカンタン・ド・ラトゥールやシャルダン、あるいはロザルバといった画家たちの描くパステル画が人々の評価を受けた時代。パリで作られるパステルがもてはやされました。中でも人気の的はマクル工房の老職人が作るパステルでした。
アンリ・ロシェは化学者であり、生物学者であり、物理学者でもあり、当時のパリ薬学専門学校の権威でしたが、ある日、恩師パストゥールからこのパステル職人を紹介され、二人はたちまち意気投合しました。細菌学者として有名なパストゥールも好んでパステル画を描いたそうですから、3人のまわりにホイッスラーやルグロ、シェレといった画家たちが集まるようになったのも、ごく自然のことと思われます。
—ドガの登場
画家たちの中にドガがいました。ドガは、
“光に負けない強い色調をもち”、
“固定剤の助けを借りずに画布や画用紙に定着し”、
“互いに異なる色彩と明度を持ちながら完全に調和する”、
“色数の多いパステル”を求めていました。ドガの要求は示唆に富み、アンリ・ロシェの好奇心を刺激しました。ドガの求めるパステルを作り、絵画の技法として確立したいと願いました。工房の名前も新しくラ・メゾン・ドゥ・パステルとしました。

20世紀初頭に製作された600色のパステル
—1887年
アンリ・ロシェ500色のパステルを完成。
—1912年
息子のDr.アンリ・ロシェが事業に加わり、工房をグルニエ・サン・ラザール通りから現在のランビュトー通り20番地に移しました。今では画家たちが訪れる小さな店舗があるだけですが、ここには当時ラ・メゾン・ドゥ・パステル社の大きな製造工場と研究所があったそうです。
—1925年
1650色のパステル完成。
—1937年
パリ万国博覧会でアンリ・ロシェのパステルが金賞を受賞。当時の1650色のコレクションはポンピドー・センターの収蔵品として、今も大切に保管されています。
—1939~1945年
二つの世界大戦はヨーロッパ全土に大きな被害を与えました。ラ・メゾン・ドゥ・パステル社も例外ではありませんでした。特に第二次大戦の被害はひどく、“ロシェのパステルは永遠に失われてしまう”と誰もが思ったそうです。一族の努力で困難を乗り越え再建を果たしましたが、その過程に於いて、最盛期には1800色あったパステルの数を減らし、特別の顧客のみを対象とする閉鎖的な経営方針がとられ、パステル製造の技術も門外不出のものとなりました。
—2000年5月
家族会議を経てイザベル・ロシェがラ・メゾン・ドゥ・パステル社の後継者になりました。5世代3世紀、一族に引き継がれてきたパステル製造の技術は、フランスの多くの老舗工房と同様、若く優秀な後継者を必要としていました。
イザベル・ロシェはフランス国立土木学校を卒業したエリートで、当時石油化学エンジニアとして将来を嘱望されていましたが、一族の申し出を受け、後継者になる道を選びました。“キャリアになる道を捨てて何故?”というインタヴューにイザベルはただ“色彩があまりに美しかったから”と答えています。イザベルは職人的な手法と伝統を守りながら、ロシェ家に伝わるパステルをより開かれたものにしたいと願っています。
—2008年秋
日仏交流150周年を記念してラ・メゾン・ドゥ・パステル社のパステルが日本で初めて紹介されました。日本橋三越本店の「趣味雑貨倶楽部」で展示販売され、人気を博しました。

『神秘と輝き』展
—2008年10月~2009年2月
2008年10月7日から2009年2月2日にかけて、パリ オルセー美術館で、『神秘と輝き』展が開催されました。ドガやルドン、モネ、マネ、ルノワール、ヴュイヤールなど美術館所蔵のパステル画に加えて1650色の<ロシェのパステル>が特別展示され、発色の美しさと伝統的な製法を今に伝える工房の歴史が改めて人々の注目を浴びました。
—2010年6月
2010年6月1日(火)20時〜21:30、6月10日(火)12:30〜14時、プレミアム8巨匠たちの肖像(NHK BSハイビジョン)でドガの世界が紹介されました。美しく、時に残酷なドガの世界。その不思議に迫るすばらしい番組でした。ドガの愛したパステルも登場。古い工房で、今も手作業で作られるロシェのパステル。静謐な工房の中で、豊かな色彩が生まれる瞬間を目の当たりにする、そんな感動を味わいました。

パリ、オルセー美術館
—2010年9月18日~12月31日
横浜美術館に於いて待望の「ドガ展」が開催。パリ オルセー美術館所蔵の「エトワル」や「バレエの授業」はじめ世界中から集められたパステル画や油彩画、デッサン、写真、彫刻など選りすぐり120点の作品が展示されました。
ラ・メゾン・ドゥ・パステル社は日本に於けるこの「ドガ展」を記念して、名画「エトワル」に因んだ3本のパステルを特別製作、期間中美術館において販売されました。
—2011年5月17日~8月14日
ニューヨーク、メトロポリタン美術館で18世紀のヨーロッパをイメージした『パステルによる肖像画展』が開催されました。ロザルバ(Rosalba Carriera 1673-1757)はじめ数々の肖像画が出展されて話題を呼びました。中でも、特別展示されたロシェのパステルの美しい色彩が、19世紀の伝統を今に伝える製法と共に紹介され、人々に深い感動を与えました。
—2011年5月
フランステレビ局“ラ・サンク(La Cinq)”の放映に続き、『夢の画家ルドン(Odilon Redon, peintre des rêves)』(Michael GAUMNITZ制作)のヴィデオが発売されました。自然の美しい映像と共に、私たちの未だ知らないルドンに会うことが出来ました。そのルドンを木炭画から色彩の世界に向かわせたのがパステルです。ルドンの作品と共にロシェのパステルとその工房が紹介されました。
—2011年夏
BBC制作『印象派の巨匠たち~絵画と革新 第3話 肖像画』、インタビューを受けたイザベル・ロシェとそのパステルが印象的です。

ラ・メゾン・ドゥ・パステル社のロゴマークは「ドラゴンと麦の穂束」です。
この図柄は“技術の守り神”として、錬金術師が好んで使ったものだそうです。“未知の領域と芸術的な昇華”を意味する図柄こそ、ラ・メゾン・ドゥ・ パステル社
のロゴに最もふさわしいものといえましょう。
ドガのアトリエで見つかったロシェのパステル箱は「ドラゴンと麦の穂束」の刻印そのままに、パリのオルセー美術館に保管されています。

ブティック
昔は広大な敷地に研究所と工房があったそうです。パリ3区のランビュトー通り20番地には現在小さなブティックがあり、アーティストたちが立ち寄っては好きな色を買って行きます。一般の方もお求めになれます。でも気をつけてください。ブティックが開くのは一週間に一度、14時から18時までです。電話での予約が必要です。
パステルは、粉末状の顔料と、白色を作るために細かく砕いた粘土やタルクを混ぜ合わせ、スティックの形状を保てるように結合剤を加えて作リます。
一族に伝わる特別の製造技術があり、結合剤を最小限にとどめることが出来るので、ロシェのパステルは顔料の鮮やかさを最大限に発揮することができます。

製造工程一部

製造工程一部
- 最初の製造工程は、希望する色を創るため顔料を調合する作業です。顔料を混ぜ合わせ、水と結合剤を加え、とろりとしたペースト状に捏ね、全体をすりつぶします。色の濃淡を表現する白も同様に作ります。
- 最も濃い色をチュイルと呼ばれるプレートに移し、少しずつ白を加えて、9種類のグラデーションを作ります。
- 9種類のペーストをそれぞれ布巾で包み、プレス機にかけて、余分な水気を抜き取り、陶芸用の粘土と同じくらいの固さにします。
- 粘土状のペーストを、小さく丸めたて球状にし、重さを量り、スティック状に形を整え、一本ずつ木製の板に並べます。
- スティックの端を切りそろえて長さに整え、ロシェのパステルの商標である“ROC”のマークを刻印し、乾燥させます。
- 品番を記した薄い紙で1本づつ丁寧に包装し、パステルが出来上がります。
全て手作業です。イザベルが一週間に一度、数時間しかブティックを開けられないわけをご理解いただけることと思います。
72色木箱入り(43×29×3.5cm)
- 風景画のためのコレクション
- ポートレートのためのコレクション
- 鮮やかな色のコレクション
12色カートンボックス入り(21×9×3cm)
- 風景画のためのコレクション
- ポートレートのためのコレクション
- 鮮やかな色のコレクション
- ミステリアスな色彩のコレクション
5色セット木箱入り(9.8×9.8cm)
567色のコレクション(503×305×275cm)
- 引き出しのある木製の収納箱入り567色のコレクション。
ご注文をいただいてから作ります。製造期間は1ヶ月ほどです。
☆イザベルのコレクションから
一日も早く皆様に、ロシェのパステルをお試しいただきたいと願い、その準備を進めております。今しばらく、ここにご紹介する多くのアーティストたちの言葉を通じて、その豊かな色調と指に馴染む感触をご想像いただきたいと思います。
ジャック・オーベル Jacques Aubelle
「ロシェのパステルについて言えること、それは感性の領域ということです。指でパステルをもってみればわかります。製作するときは自分の6本目の指という感覚になるのです」

“H. Roché pastels are the best, they’re the “Rolls Royce” of pastels” Pierre Boncompain |
クロード=ボレ・アラール Claude Bauret Allard
「それぞれの色彩は、アーティストがそのまま活かして使いたいと思うほど完璧で、その調和を試みて、本来の価値を高めるのが私たちの仕事になります」
ピエール・ボンコンパン Pierre Boncompain
「パステルの質感にワックス感が全くなく、色素の質が高く、深みがあり、しかも鮮やかでした。それからずっとその驚きが持続しています」
イヴリーヌ・カイル Evelyne Cail
「最初は手が出ないほど高く感じられます。使ってみて初めて、その優れた品質に対する妥当な価格だと納得できるわけです」
「ロシェがある日、その事業を中断したら、私もパステル画の製作を断念するでしょうね、ほぼ間違いなく」

“In my studio later that day, the “revelation”, like a brilliant light exploding in my head, told me this was color unlike any other I knew ” Irving Petlin |
アーヴィン・ペトリン Irving Petlin
「パステルの色彩は力強く、完璧なまでに柔らかく溶け込むので、私の油彩画とパステル画には、もう差異がみられません」
クロード・ルカール Claude Roucard
「その名にふさわしいパステル画家なら誰でも、必ず製品を買い込むことになる!」
ジャン=ジャック・コトン Jean-Jacques Cotton
「ヴェルヴェットのような柔らかな質感、鮮やかで深みのある色、光に対する耐久性、細かい色素の微粒子、豊富な色彩と微妙な色調...」
ジェローム・フェスティJérôme Festy
「背景あるいは大画面に奥行きを与え、深みを表現しようとする場合、私はためらうことなくロシェのパステルを使う」
ロズリーヌ・グラネ Roseline Granet
「私は彫刻家で、20年ほど前からパステル画も描いています。ロシェのパステルに匹敵するものには、これまで出会ったことがありませんね。ドライなのに柔らかく、驚くほど豊富な色調で。これに代わるものは本当にないんです」
「私の義母が使っていたロシェのパステルがまだあるのですが、今でもちゃんと使えますよ」
ピエール・スキラ Pierre Skira
「イザベル、ヘルプ! あの色がもうないんだ! あのブルーグリーンの色が!
本当にユニークなのだから」
 Pierre Skira |
カミーユ・ルブロン Camille Leblond
「高貴なほどの質感、色の豊かさ、完璧性。ロシェのパステルは“卓越したパステル画を描くこと”へと私を駆り立ててくれるものです」
ピエール=エドゥアール・モシオンPierre-Edouard Maussion
「18世紀の伝統を継承する唯一のパステルですね、私の知る限り。全色そろえた製品はすべてのスペクトルに及びます」
「私にとってパステル画の最も重要なクオリティの一つ、パステルの層に光が浸透し、絵の具の上で新たな展開を見せる、それを可能にしてくれるからです」
フェリックス・ドゥ・レコンド Felix de Recondo
「官能的な画材。微妙なニュアンスの無限性から、途方もなく自由に描きだせる。私は他の全ての技法を見限ってしまった」
アンドレ・サヴレ André Sablé
「色の美しさ、繊細さ、そして希少性。引き締まっていて、しかも柔らかく、手にしたときに感じる快感。使いこなせるようになるとわかる、画面への定着の良さ」

Sam Szafran |
マテュー・ヴィーメルス Mathiu Weemaels
「色素がぎっちり詰まっていて、鮮やかで、濃厚。画用紙の上に美しい粉が堆積するようだ」
マケビ・グゼナキス Mâkbi Xenakis
「制作中にしばしば、自分の指の中で動いているのは、パステルという物体ではなく,生命そのものだと感じるほどです」
ヨラン・カザック Yoran Cazec
「他のものを嫉妬させる」
サム・サフラン Sam Szafran
「私のインスピレーションの中核を成す、あの妄想的な変化を追及するようになりました」
過去の書簡からの引用:
ポール・マゼ Paul Maze
フランス人画家ポール・マゼ(1887−1979)は1930年、巨匠ヴュイヤールに連れられて、初めてロシェ博士に会った時のことをこう述べています。“神様が、もう一人の神様に私を引き合わせてくださった”と。